キリスト教葬儀 お悔やみの言葉

キリスト教葬儀でのお悔やみの言葉とは?

キリスト教葬儀における遺族への慰めの言葉とは?

 

仏式葬儀における遺族への慰めの言葉

 

「この度は、誠にご愁傷様でございます。」
「お悔みを申し上げます。ご冥福をお祈りいたします。」
「ご親族のお嘆き、まさに断腸の極みかと存じます。」

 

通常行われる仏式の葬儀では、このように遺族への慰めの言葉をかけますが、
日本で行われている葬儀の90%以上を占めている仏式の葬儀は、
簡単にいうなら故人を成仏させるための儀式です。
お坊さんがお経を唱え、参列者が焼香をし、故人の成仏を祈ります。

 

仏式では、人の死は「人生の終焉」という考え方が主流になっているため、
故人の遺族は、故人との最後の別れを惜しみ、嘆き、悲しむものです。

 

そのために、上記のような遺族への慰めの言葉がかけられるわけです。

 

 

キリスト教葬儀ではお悔みの言葉がない理由

 

仏式による葬儀では、悲嘆にくれている遺族に対してお悔みの言葉をかけて遺族を慰めますが、
キリスト教式による葬儀の場合は、お悔みの言葉がありません。

 

なぜ、キリスト教式の葬儀ではお悔みの言葉がないのでしょう?
それは、キリスト教における死に対する受け止め方や考え方に理由があります。

 

キリスト教では、人の死を「終焉」とは考えません。
死とは、地上での罪を許され、神様によって天に召されることを意味しており、
祝福されるべきことと考えます。
それゆえ、キリスト教式の葬儀も、シンプルでありながらも美しく、明るく希望に満ちたものになっています。

 

これが、キリスト教葬儀においてお悔みの言葉が使われない理由です。

 

 

キリスト教葬儀における遺族への慰めの言葉

 

キリスト教では人の死を終焉とは考えず、神様のもとへ召される祝福されるべきこと、
と頭では理解することができても、最愛の伴侶や家族を失った事実は悲しくつらいものです。

 

キリスト教葬儀に参列し、遺族への慰めの言葉をかけるとしたら、どのような言葉が相応しいでしょうか。

 

 

「天に召された○○さまの平安をお祈りいたします。」

 

「寂しくなると思いますが、神さまの平安がありますように。」

 

 

このような言葉が、遺族への慰めの言葉として相応しいといえるでしょう。

 

 

 

キリスト教葬儀での弔電(電報)